2015年度の始まり

 1月にこのブログで、昨年はとっても実りの多い充実した体験がたくさんあったことを書きました。学校の教員からフリーの音楽療法士になって、様々な場面で人と音楽し、学んできたことがなんなりの形になったような充実感を覚えたのでした。名古屋で開催された音楽療法の大会では、期間中、日野原重明理事長の近くで過ごすなど、双六に例えればのあがりような気分を味わっていたのでした。もうこれでいい、と。

 ところが年が明けて1月、とりわけ2月、そして3月と僕が関わる様々な出来事は刺激的で学びに満ちたことの連続なのでした。その間、胃カメラや心臓の検査など僕の年なら当たり前ですけど、いろいろ体の小さな不具合も指摘されてきております。こういうのはこれから増えるんでしょうねえ・・・。

 充実とか、学びの体験と言えば、昨年がまさにそうでしたけど、その後の事柄も、それ以前と大きく違うのは、僕の個人的な活動ではなく、本当に多くの人と、ご一緒して事が運ばれ、そこに関わる人それぞれがしんどいながらも充実した気持ちを持つことができ、何よりそれぞれのレベルで学んでいる実感を覚えていることがよく分かることです。

 2月3月で目立ったことは、具体的には、村井楽器での音楽療法やレッスンでの研修、毎月のライブスペース勢の!、MTちいきで繰り出すイベントや講習会、そして、尾鷲と行き来するバンド「エール」、音楽療法学会への参加、・・・・。合間合間にそう近くはない旧友の訪問などなど・・・・。
 本当に一つ一つがそれだけでも素敵な時間なのですが、僕の関与を通して、それぞれが何気にむすばっていっているのです。

 長年学校の教員でしたから、僕は、今日は大晦日、明日が元旦、という気分が抜けません。そして予定帳を見ると4月はいきなり東京へ出かけ、世界自閉症デイのイベントに参加しますし、スイス在住のリトグラファーでもある松林幸二郎さんとの再会のために信楽へ行きますし、また飛騨古川のKyairi ギター専門店の中村さんを訪ねて、ギターのメンテナンスをお願いすることにしております。4月はお出かけ月刊です。そして、5月からはMTちいきでの活動ということで、イベントを次々仕掛けることになっています。先日奈良の春咲きコンサートでもパワーを見せた「エール」も何かと飛躍の年のなりそうな気配です。

 僕はタダの僕じゃなくて、音楽療法士だからこそ、できていっていることがたくさんあるように感じています。それは長年僕が「音楽療法」を敷居の高いものに感じ、とてもそんなことはできない、というスタンスで、ただ目の前のことに一所懸命になるというスタイルの音楽が身についてきたからだとも思うのです。その間に、自分が音楽療法のフィールドで学び続けてきたからこそ感じられること、言葉にできること、やってみようと呼び掛けられることが、その都度心ある仲間の共感を得てきたからかなあ、と感謝の気持ちでいっぱいです。

 除夜の鐘こそありませんが、煩悩を数えながら、またぼちぼちと歩んでいこうと、思います。なんなんでしょうか、幸せなことです。

at 12:06, まんどろ, -

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2015年の始まり

 昨夜少しだけ吹雪いたようですが、起き出して雨戸をあけると、陽光まぶしく、消え残った雪もきらきらまばゆい朝となりました。
 昨年のことを取りまとめて反省しようと考えたのは12月の初めでしたが、だらだらと日が過ぎ、正月を迎えております。

 2014年は、僕にとっていつになく実りある出会いと体験に恵まれた年であったように思います。毎月のように普段経験できないようなことが身の回りで起こり(そのいくつは僕自身が仕掛けに行ったものですが)、次へのつながりを実感できる出会いが多くありました。
 一つ一つはもちろんばらばらに起こり、別々の経過をたどっていますが、僕の中では、それらが絡み合って僕自身に多くの気づきと喜びをもたらしました。

 それをいくつかの塊として整理してみると、まず、孫の誕生とその後の目を見張る成長ぶりに間近に接したことです。娘は海外駐在勤務の夫とアメリカ暮らしをしてそこで長男を生みました。妊娠中帰省がままならなかったこともあって、出産後、ちょうど去年の正月休みですが、長期に親元に滞在ました。また、昨年は、3年間の海外勤務から東京での本社勤務になって、その時点で住む家も十分には整っていなかったことから、6月に長期に我が家にやってきました。そんなことで僕は2歳の孫娘といろいろ遊びました。
 ここ数年、僕は2人の孫を通して、新生児、乳児期、そして1歳から2歳、そして2歳から3歳という、それぞれ特徴のはっきりした時期に孫と積極的に関わり、たくさんのことを学びました。魔の2歳、と呼ばれる時期に娘とやり取りしたことで、僕は「自閉」と呼ばれる様々な認知行動特性と相通ずるものをたくさん発見して、自閉症への理解が一気に深まりました。
 これからは、弟の方が徐々にその時期に向かい、娘は3歳児の様々な姿を僕に教えてくれるはずです。

 これは、もちろん家族のことでもありますが、音楽療法を生業とする僕にとっては、大変身になる研修、実習でもありました。すべり台を置いたスタジオが、僕らの遊びの現場となりました。

 もう一つの塊は、僕が長年続けてきた地域で生きる音楽療法の在り方について、ある程度ビジョンが明確になるような出来事が重なったことです。
 昨年7月、オーストリアのウィーン近郊のクレムスという街で音楽療法の世界大会があり、ここで、発表の機会を与えられ、英語でプレゼンを行いました。原稿の準備では、これまでの研究発表とは全然違う体験をすることとなりました。英語の原稿は自分で書けるわけではなく、何人かの英語に堪能な方の援助を得ました。
 日本語だと何となく書けてしまうことが、英語にできない。それは英語力の問題ではなく、自分の考えの不明瞭さにあることは明白でした。日本語での論文構成⇒日本語による記述⇒英訳、この3つを行ったり来たりしなければ、理解できる英語にはなりませんでした。最終的に英語になって、初めて自分のイメージが新たに明確になったことがたくさんありました。
 さてそのようなことを試行錯誤、右往左往を繰り返しながら、楽器店をベースにした自分の活動を、僕はいくつかの図にまとめることができました。そして、見えてきたものがあるような気がしたのです。
 また、この世界大会では、いろんな人と出会いました。挨拶を交わす、ということもありましたが、それ以上に自分の音楽活動を見直すうえで、もってこいであったと思うのです。そして、僕は自分のやろうとすることに少し自信を持ちました。


 3つ目の塊は「即興」の現場に居合わせる歓びに関わることです。
 音楽療法の音楽は、「即興」と呼ぶかどうかは、どうでもいいのですが、とにかく即興なのです。即興には様々な理屈の部分もあるでしょうけど、とにかく即興の現場に居合わせ、そこで体験すること、これが大事で、音楽療法の一つ一つのセッションもそれ以外の何物でもないと思います。
 即興は地図のない旅ですから、旅に出ようと湧き上がるものがなければ始まりようがありません。
 その湧き上がるものを共にする歓びこそ音楽の本質であり、音楽療法の真骨頂に違いありません。

 昨年はそんな現場を次々体験しました。中でも印象に残るのが、NPO法人音楽療法地域推進協会(MTちいき)が主催した「ミュージックフェスティバル2014」での200人の即興シーン。そしてもう一つはミュージシャン新倉壮朗さんとのセッションです。
 即興という音楽活動に慣れているとは到底思われない観衆が様々な楽器を手にして、音のうねりに加わっていく様、なかなかに迫力のあるものでした。
 また新倉さんは、言葉を使わないコミュニケーションの達人で、そこには湧きあがる思い、それを形にする楽器との真剣な戯れがあふれ出ていました。ちょっとやそっとではないのです。あふれるほどの思いこそ、即興が人を感動させるのでしょう、多分・・・・。

 4つ目は、音楽療法学会のことです。まあこれは、個人レベルの感傷にも似た気分ですが、僕が音楽療法の学会というものを知るきっかけをくださった遠山文吉先生との名古屋大会での再会、そしてそこでは、なんとあの日野原重明理事長の車いすを押すなど、間近にサポートする役割を与えられていたのでした。学会でホンマいろんな経験をさせていただいて幸せでした。

 というようなことが昨年、次々に起こり、今日に至っています。

 まあ、今年もぼちぼちと頑張ろう、いやほどほど十分ですが、などと思っているところです。

at 11:27, まんどろ, 日記

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即興

 2014年9月28日、NPO法人三重音楽療法地域推進協会(MTちいき)主催で伊勢市御薗町のハートプラザみそののホールで「ミュージックフェスティバル2014」と銘打ったイベントが行われた。
 プロデューサー役の僕がこのフェスティバルで願ったことは会場の観客の皆さんが即興に興じるシーンが生まれる、ということであった。そのためにプログラムの構成や道具の準備では、精一杯工夫も凝らした。
 触ってみたくなる楽器や屈託ないお誘いのリズムに誘われ、あちらこちらで探るような音が生み出される。それに呼応するかのような音が重なっていく。

 そこかしこのお話のような音のやり取りは、周りの鋭い音や大きな音にも影響されつつ、立ち止まったり、揺れたりもしながらどんどん音に音が折り重なっていく。

 ステージでも客席でも周りに促されつつ、周りを促す音を出し続け、だんだんとうねりながら会場全体を包み込むようなサウンドが拡がっていく。

 会場全員での即興は、フェスティバルの最もステキなシーンとして、多くの人の印象にとどまったことと思われ、僕は嬉しかった。

 振り返ってみれば、「触ってみたくなる」、「試してみたくなる」楽器を目にして、思わず手が出る、そしてその手応えとしての音が返ってくる。そうすると、「いいねえ」と言わんばかりの相手の音が返ってくる。この日お集まりの皆さんが普段即興に慣れていると到底思われず、文字通りのお試しの即興であったと思う。
 その時、普段僕と音楽するいわゆる障がいのある仲間が積極的に相手をリードし、支えるような役回りを演じる姿が多く見らた。彼らの振る舞いこそ、「お試し」を促す大きな要因であったことは間違いないだろう。

 フェスティバルの余韻も冷めやらぬ1週間後に、僕はエールの仲間と名古屋に出かけ、「新倉壮朗(ニイクラタケオ)」のステージを観た。ここではタケオさんが湧き出るエネルギーをマリンバや太鼓に向けて、情熱的なリズムを展開した。タケオさんは楽器を置き、踊ってみせ、オーディエンスをステージに招き大きな即興シーンが生み出された。




 それからひと月もたたない11月3日、タケオさんが僕のスタジオに立ち寄り、尾鷲から駆けつけたエールの仲間との即興が始まった。

 タケオさんは普段あまり使うことのない、ギターを抱えどこまでも弾き、歌い続けた。

 タケオさんはプロのミュージシャンを相手にステージで即興し、観客を魅了し続ける正真正銘のミュージシャンである。巧まずして、身に備わったオーラとリズムの刻みが僕らを支え、引っ張った。

 そこには形にこだわらないからこそ生み出されるほとばしりがあった。
 
 実はエールがタケオさんに出会う前、僕は母屋の玄関口で、たまたまそこに置いてあったギターを手にしたタケオさんと1時間近くも2人で即興した。その時、僕らはお互いを感じ合いながら、単純な、ごくごく単純なギターサウンドを重ね続けたのである。その流れがタケオさんのギタープレイでのエールとの即興になったのか、得意の太鼓やピアノ、木琴など置いてあったにも関わらず、手にしなかった。きっと、おもしろかったのだろう、ギターが。

 今、3歳と1歳の孫たちが庭で遊んでいる。おもしろいだけのために必死であり、エネルギッシュな様々な動きに、ついつい引き込まれてしまう。

 おもしろい、ことに向かって湧き上がるのはミュージシャンだけではない。だからこそ、みんな即興シーンで自分なりの笑顔と表現を生み出し、素敵な即興シーンが生まれるのだろう。

 とりあえず、きょうはここまで。

at 10:39, まんどろ, -

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平泉高館(たかだち)とひょっこりひょうたん島

 2014年10月、東北の被災地をまわる音楽療法士の智田邦徳さんに連れて行ってもらうためにまず盛岡に向かった。その途中、世界遺産平泉に立ち寄った。歴史にも観光にもほとんど知識もなく、またこれといった思いもなく、「世界遺産」をかすめておこうというだけのことだった。
 平泉駅を出るとすぐそばに観光案内所があり、そこで尋ねるとレンタサイクルが便利と教えてくれた。早速その隣で自転車を借りた。そこのおじさんが、荷物を預かってくれて、簡単な地図に、自転車で巡るルートと所要時間を書き入れて持たせてくれた。
 まず地図が示す最初のポイントは「高館義経堂」で、そこを目指した。入口の表示看板まではすいすい来たが、そこからはすごい坂で自転車はこげず押して歩いた。自転車を脇に止めて、入場料を払ってからもなかなかの坂道で、喘ぎ喘ぎ高台に着いた。
 まあ、見晴らしの良いところではある。

 矢印があってそこには芭蕉の句碑がある。
 「夏草や兵どもが夢のあと」という有名な句である。

 つらつら読むと、芭蕉はここにきて、涙を流しているのである。そういえば、高校の古文を思い出した。漢詩の「国破れて山河あり」も引きながら、芭蕉は往時の戦や義経の悲劇、はたまた名もなき兵士たちのことを思ってか、泣くのである。
 芭蕉の見た景色と今の景観は多少違うであろうが、古の戦いのあとが残っているわけではなく、むしろ平時の田園風景が感慨を深めたのであろう。
 ここで涙する芭蕉は見えないものをいっぱい見ていたに違いなく、ただ自転車こいできただけの自分に、感慨が湧いてこないのも当然か、などとも思えた。


 翌日盛岡で拾ってもらい、途中遠野を通って、大槌までのドライブをした。
 お昼の後赤浜海岸に連れて行ってもらった。そこで同行の愛犬タンタンがしばし車外で遊ぶ。
 そこからはひょっこりひょうたん島のモデルの島が見える。


 島の祠には弁天様が祀られ、震災前は防波堤で陸続きになっていて歩いて渡れたという。
 あの日の地震、津波の時は、一体どんなふうであったか、などと思うよりも、昼食後のひと時が心地よく流れていく。
 見えないものが見えない限り、ここもただの景色なんだろう。

 東北に来れば、そして現場に立てば、何かが分かるということでもなく、そこで感じ、了解することも、それはもう自分自身の器に応じてのことなのだ。

at 14:00, まんどろ, -

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三陸方面仮設住宅訪問の音楽療法士

 東日本大震災に衝撃を受け、自分を見直す機会とした人は多いと思う。僕もささやかではあるが、そんな一人でありたいと願っている。震災直後多くの音楽家が「自分に何ができるんだろろうか」「自分が今までやってきたことは、いったい何だったんだろうか」という問いを振り向けるのを、テレビでたくさん見た。その音楽家たちは、それぞれの方法で被災地や被災した人々とつながる音楽を模索し、形にしていっておられるのだろう。

 音楽、まして音楽療法士が黙って手をこまねいてはいられない、そういう衝動に駆られるのはむしろ当然のことであろう。僕もあまり積極的ではないものの、いちおう支援ボランティア募集に手を挙げ、バスに乗せてもらい、石巻、陸前高田を訪問したこともある。がれき撤去など、ほんのちょっとだけお手伝いをしてきた。
 
 僕のいとこは「できるときに、できることを、できる範囲で」と継続的にボランティア活動を行い、生き生きと活動を通しての出会いの喜びを語る。

 僕は僕なりにということで、先達を求め、「東北音楽療法推進プロジェクト えころん」という法人を立ち上げた岩手県盛岡の智田邦徳さんにたどり着いた。智田さんは人を引き付けるオーラが強く、その上にフレンドリーな言葉がけや振る舞いで人を安心させる達人ではあるが、音楽のパフォーマンス、一言でいえば「芸」が非常に達者なのである。

 その智田さんに連れて行ってもらい、丸2日間、大槌、宮古の仮設住宅などを回り、トータル5つのセッションに立ち会わせていただいた。
 どこへ行っても楽しい。お集まりの皆さんもとっても笑顔。
 音楽をもっていけば、誰でもというわけでは決してないだろうし、音楽療法士としての智田さんの優れた技量というものがそこにあるのは間違いない。
 
 智田さんのリードする活動を僕自身も腹から楽しみながら、考えた。
 それは一言でいえば、音楽療法士の仕事、役割ということである。ここでのセッションについて言えば、恐らく智田さんの覚悟と蓄積抜きには語れない部分であろう。なかなかまねはできないのである。
 もちろん僕は僕のやれることをやってみるしかない。そして、やってみればきっと楽しくやれる、そういう予感は僕の中にも生まれた。

 岩手県盛岡、そして三陸、僕のところからは決して近いところではない。だが、3日間ほどの滞在でなんだか親戚ができたような気分にもなっている。智田さんを通して三陸の人とつながる。そして僕がまた僕の地域の人々とともに智田さんや三陸の人々とのつながりを深めていく。

 つながり、それこそ音楽と音楽療法の一番の機能であり、それを実際に行い、目に見える形にしていくのが音楽療法士の務めであろう。そう確信できる2日間の仮設住宅セッションであった。

at 14:14, まんどろ, -

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音楽が生まれる、時、場所・・・

 2014年9月28日、「ミュージックフェスティバル2014」と銘打って、ここ数年、村井楽器を舞台に様々に展開してきた音楽活動を取りまとめてご披露するイベントを行いました。
 数年というのは、大体5〜6年くらいと思いますが、この間、楽器店の音楽教室として定期的な音楽療法活動をに行い、また毎月毎月「ライブスペース勢の!」というコンサートを続けてきました。
 まだしみじみするのは早いのですが、この過程で感じるのは、まず、人と人の新たなネットワークがしっかりと育ってきたこと、そして僕自身を含めてその人その人に向ければ、その人の音楽や音楽観が確実に変ってきました。それが一つの形になったのが「即興」という、誰でもいきなり参加できる音楽のスタイルと言うか、そういうものが身近で自然な音楽になってきたことに現れていると思います。
 それとステージに慣れてきた人が増えたこと。障がいがあろうとなかろうと、誰でもステージではヒーロー、ヒロイン、自分を表現できるのです。そんなパフォーマーが僕の周りにたくさんいる。
 もちろんステージには裏も表もある。この裏がとっても大事ですけど、いわゆる裏方も着実に育ってきたように感じます。

 で、「ミュージックフェスティバル2014」では、お集まりくださったオーディエンスが皆一緒になって即興することを目当てに、プログラム構成をし、展開したところでした。
 そこの成り行きは、実に様々な絡みがあって、僕も掌握し切れてませんけど、事前に仕組み、仕掛けてうまく行ったこと、それにつれて起こってくるのが、僕なんかが「思いもしない」出来事の展開でした。このドラマは、後日ゆっくりとまとめてみたいと思います。

 「ミュージックフェスティバル2014」は、参加者が音・音楽を感じ、思うが儘に音を出し、そこになりゆく音楽に身を任せたり、また自分の意志で動きだしたり、動きを止めたりたりする場でした。おいでくださった方の多くは、多分うなづいていただけるんじゃあないでしょうか・・・。
 そしてもう一つ、そんな音楽や自分について、物思う、あるいは考えるきっかけともなることを願い、三重大学の根津知佳子先生のコメントを挟んでみました。先生はとってもやさしい言葉づかいで、僕らのやろうとすることを解説してくださいました。
 その時のお話の要点のひとつが「音・音楽が生まれる」、まさにそういうことが今起こっているというふうに語ってくださいました。そしてその音・音楽は体を心を行き交い、自分に気づき、人と向き合い、交歓する場となるということです。
 なぜ、「即興」などということを試みるか、ということの答えがそこにある気がしました。


 「ミュージックフェスティバル2014」の1週間後、名古屋向かいました。そこでは新倉タケオさんのドキュメント映画の上映と彼のパフォーマンスがあるということで、
台風接近で帰りの心配な尾鷲の仲間たち一緒に出掛けました。
 僕自身はこの映画はもう見たことがあるのですが、今回仲間と一緒に見れたことはよかったです。
 音楽が教えたり、教わったりするのではなく、「生まれる」ものであること、それをみんなが共感を持って、感じ取れたと思います。
 音楽は「生まれ」て、すぐに「消えて」いきます。もちろん音楽にも形はあるでしょうが、それは目に見えるようなものではなく、やっぱ消えていくんです。でもその消えたはずの音楽が今度は僕らを生かし、活かすことにもなる、僕はそう思っています。


 タケオさんのエネルギッシュなドラムやダンス、それももちろんですがその時その場へのチャレンジみたいなことも、実に心地よく感じました。妙な思いなしの入る余地のないきっぱりとしたパファーマンスが会場のみんなを酔わせたのでした。

 音・音楽が生まれ、それを意識した途端にその音楽は消えている。自分を信じる気持ちや、人と人のつながる歓びの想いを残して。

 

at 09:35, まんどろ, 音楽

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バンド・バンド・バンド

 僕は定期的な個人セッションという形で、たくさんのオアイテと音楽活動を重ねています。
 とりあえず、「楽しい!」ということはとっても大事ですけど、それが次の段階に向かうということと絡んでいかなければならない、音楽療法士はそこのあたりをしつこく考えるめんどくさい作業をします。
 子どもは、目に見えて、というほどではなくても、成長していきます。体も心もだんだんと整っていくのです。それにしたがって音楽活動の中身も変わっていく。その変っていく境目のあたりを狙って、僕はいろいろと働きかけたりもするわけです。基本的には発達ということを念頭に音楽活動を組み立て、展開します。
 発達というのは、早い人もあればゆっくりな人もあるけれど、大体順番が決まっている。赤ん坊が言葉でしゃべりだす前に、いっぱいうなり声をあげたり、いろんな音を試したりして、それを楽しむおとなとのやり取りで、少しずつ言葉らしい音が出ていくわけです。
 音楽もそうした全体の発達と呼応して、ただ音の羅列のようなことからリズムが感じられるような音を生み出し、それが一定のビートで表現できるようになる。そしてその次は・・・・、というような順番があって、いきなりいい声できちんと歌うわけではないのは、誰もが知っていることです。

 で、僕はその人の現在の発達の状況を感じ取り、その次に来ることを想定して、それを活動の課題とします。
 オアイテが子どもの時は、とても有効な考え方だと思います。

 子どもは、思春期、青年期を経てやがておとなになっていきます。だからと言って、様々な能力が備わっていくわけではないので、そこを「発達障がい」などと呼ばれる人が、僕のオアイテの多くです。
 結構その人の発達上の課題は分かっている、そこを伸ばしたい、ですがそれは音楽活動をする上で、音楽療法士である僕の課題ではあっても、オアイテ自身の課題という風にはいきません。
 若者、そしておとなになったオアイテとの個人セッションで、僕はこのままではよくない、と感じてました。幸い教えるプロである音楽講師が僕のまわりにはいますので、その人に委ねることも考えました。ですが教え方が良ければ、うまくいくとも思えませんでした。

 そこでひらめいたのが、個人セッションと小グループの組み合わせ、そしてバンド活動でした。

           

 バンドは楽しい、それ以上に自分がそこへ行って音を出す、出さなきゃならない、そういう直接的なモーティベーションがオアイテの一人一人に、一気に高まりました。そして、バンドである以上、ライブ演奏を披露しなけれやならないんです。
 このことは、個人セッションでの活動をメチャメチャ活性化させました。僕だけの思いで、オアイテにお付き合いさせる音楽からオアイテ自身が自分を表現する音楽へと変わりました、と僕は感じています。

 写真は、村井楽器学園前教室で生まれたバンド、「GKM4*8(ジーケーエム・フォー・エイト)」です。
 このほか、「四咲(YoSaKu)」、そして「ハッピー」というバンドがデビューを待っているところです。

 普通のバンドと違うところは、初めに音楽のコンセプトがあって、例えばロックだからエレキとベースとドラムにキーボードみたいなことではメンバーが決まってこない。逆なんです。このメンバーで、果たしてどんな音楽が、そしてサウンドが生まれるのか、それが楽しみなところです。

at 10:33, まんどろ, 音楽・音楽療法

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クレムスでの宿舎

 大会の参加申し込みと同時に宿舎の手配もお願いしました。ホテルではなく大学の学生寮のようなところです。バカンスで学生が皆引き払っているところを大会参加者のために開放されたものと思います。
 これがまあ、立派な建物で、とても雰囲気のあるところでした。
 
 部屋のドアには一応僕の名前が書かれてありました。
 中は、ベッドも二つあって、おそらく普段は2人で暮らせるように設えられているようでした。
今時のことですから、Wifiはフリーです 
散らかしっぱなしでも十分なスペースです。
シャワーやトイレも清潔に完備されておりました。

 
           窓からは中庭が見えますが、こんなところで暮らせる人はうらやましい。

 これ、廊下です。
 遠くにドアが見えますけど、これが重々しいドアで、開閉のたびにガ〜ンと響きます。
 建物のセクションごとにこのドアがあるんですけど、いくつもドア通り抜けて、食堂に行きます。

 パンにシリアル、チーズにハム、ヨーグルト、フルーツ、飲み物もコーヒー、牛乳、ジュースなど、いずれも種類がある程度揃っていて、しかもおいしい。普段朝食は抜く習慣の僕ですが、ここではついたくさん食べてしまいました。

 実はこの宿舎、大きくて立派なので探し当てるのは、さほど苦労はなかったんですけど、入口が見つけられず、スーツケースをごろごろ、また階段では担ぎながら、1時間以上歩く羽目に陥りました。最初教えられた入口には全部施錠され入れない。尋ねようにもそこいらに人はいない。結局大会会場まで戻ってもう一度尋ねると、今度は反対側の入り口を教えられ、どうにか分かったものの、そこも施錠。本当にうろうろしました。最終的に建物の大きさからみるとあまりに小さい案内表示を発見して、無事に入ることができました。部屋で服を脱ぐとシャツはもちろん、ズボンのベルトまでぐっしょりと濡れておりました。
 
 ですが、ここでの4泊は、なかなか味わえない体験で、大いに満足でした。

at 09:42, まんどろ, -

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クレムスの町

 僕のプレゼンテーションは、大会最終日でした。その前日の夜のカルチャープログラムへの出席は取りやめ、その代わり午後
一人でクレムスの町を散策しました。


 静かな町で、そのうえバカンス期間中であまり人にも出会わない感じだったのに、この日は大変な人だかり。いろいろ尋ねてみると、この辺りはアプリコットの産地で、週末の金・土はアプリコット祭りが行われ、翌週もあるんだそうです。
 昔の日本でいえば、盆踊りだったり、秋の収穫の祭りだったりするような素朴な感じのお祭りでした。じいちゃんやばあちゃんが幼い孫を連れてる歩いてるような・・・・。露店のお店もたくさん出ていました。
 そして音楽、あっちでもこっちでも、仮設ステージだったり、石畳の沿道に一塊の楽団が並んだりして、バイオリンやアコーディオン、それにハープが響いてました。アメリカのジャズっぽい演奏のバンドもありました。それにチロル風(?)の民族衣装に身を包んだ男女の一団の、それこそ素朴そのもののフォークダンスにも出会いました。
 
 ごつごつした石畳の道に地下足袋が大変心地よいことも知りました。歩き疲れて路地の奥に入って中華料理店で焼そばを食べたのですが、道路に座り込んだアコーディオンが聞こえ、それも心地よいものでした。


 パリの空の下セーヌは流れる・・・、このメロディにはちょっと違和感も感じたのですが、まあなんだっていんでしょう、そのうちに「ゆうべとなればうつくし」で始まるあのドナウ川の漣に代わりました。まあその方が、遠方から来た僕にはしっくりきました。

 というようなことで、クレムスの町歩きもとっても楽しかったのです。音楽療法世界大会に来なければ、この先もずっとクレムスという街の存在さえ知らずに過ごしたことでしょうけど・・・・。
 

at 14:19, まんどろ, -

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論文の構成

 僕ら音楽療法士は論文を書くのも一つの仕事です。それも多くの音楽療法士にとっては厄介なものです。

 僕は書くことは嫌いじゃない、でも論文となると、僕にとってあまりに面倒なことが次々現れます。今回英語で論文を書くにあたりたくさんの気づきがありましたが、その一番大きいのが構成に関わることです。

 日本語の論文では
  ・はじめに(問題)
  ・方法
  ・経過あるいは結果
  ・考察
  ・おわりに(結語)
みたいな感じで、そのスタイルに合うように頭を整理しながら書きます。
 英語も基本は変わらないのでしょうが、結果のことを Result とするもよし、 Findings とするもよし、みたいな感じでした。このFindingsには自分が見出したこと、みたいな語感が感じられ、僕はとても書きやすかったです。

 考察については Discussion というそうです。
 これまで、経過や結果で具体的に示したことを、一つの知見として示すために、考えを深めるのがこの考察部分だと考えてました。
 Discussion になったからと言って別に変わらないのでしょうが、Discussion は人と議論することですからねえ・・・・。
つまり、自分の実践したことを自分とは全然違う立場や考えの人と議論しようというわけです。例えば、今回僕は楽器店を舞台に展開している音楽療法について発表するわけですが、同じようなことをしている人は世界中にまずいない。なのに、僕の発表を聞いた人が同意したり、批判したり、発展させたりすることができるでしょうか?
 そういう議論の土俵に乗せるのがこの Discussion の部分なのでしょう。
 実はプレゼン用の原稿を作っている途中の段階で、ある友人に見て もらったのですが、そこで、
「吉田さんは、このレポートで世界中の人と何を Discussion したいのですか?」みたいな指摘を受けました。
 そこからまた見直しが始まって、翻訳者のご苦労を強いる作業に入っていったのでした。

 結語は多分 Conclusion でよいのでしょうが、 Future という言い方もあって、断然こっちを書きたい。

 ということで、英語で書かなきゃならない羽目に陥ったことで、何を論文にまとめるのか、いろいろと考える機会になりました。
 長い期間、おりおり、参考意見をいただいたり、英文になった自分のレポートを見て、また考えが変わったり、本来の意味で数名の方とのコラボレーションによって作業が進んだことは、幸せなことでした。








 

at 08:48, まんどろ, -

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