村井楽器音楽療法担当者研修会

 村井楽器では、音楽療法プロジェクトとして、単に「音楽療法」教室を開くだけではなく、様々な取り組みを並行して行っています。

 その一つが、音楽療法、あるいは音楽療法を取り入れた指導を行う講師と音楽療法士が共通の話題で話し合う担当者研修会があって、毎月1回定期的に持たれています(2時間程度)。音楽療法で言えば〈カンファレンス〉にあたる事例検討も毎回重ねています。


 先月は、鍵盤に触ろうともしない人や、高音域や低音域の重音もズバリ当ててしまうすぐれた耳を持つ人の場合で、どのように指導を重ねているかの紹介がありました。2人とも言うところの〈自閉症〉であり、〈音楽療法〉ではなく〈ピアノレッスン〉の生徒さんです。

 自閉症にもいろいろな人がいるは当たり前のことで、この講師にも大変なご苦労もあったことと思いますが、実践場面では、「自閉症」かどうかではなく、生徒の「〜さん」と「〜さん」という風に、個別に手立てを考えていかないと有効な働きかけにはならなかたことでしょう。ですが、生徒のお二人とも、いわゆる自閉症の行動特性はたくさん持っていて、そういうことを「知識」として知っているのといないのとでは、やはり指導する時、気持ちの上で大きな違いがあると思います。この先生にとって楽器店の研修で「音楽療法」が学べたことは有意義であったことでしょう。

 もちろん僕も講師の先生方からたくさん学んでいます。そして「生徒」を前にして、「先生」がどのような知識や技能を発揮するかは、講師の先生方が長年培ってきた専門職としての技能であって、容易に真似ることなどできない、ということもはっきりと自覚しました。

 僕は、これまで音楽療法士として様々なタイプの人と音楽してきましたが、それは、考えてみれば、その人と僕の間で楽しめる音楽を見つけ出す営みを始めることでした。そこでは音楽の通常の基本技能(例えばリズムや音程を的確にとらえ表現することなど)にはこだわらず、むしろ逸脱することで生まれる驚きや面白さを追求してきたような気がします。しかし、オアイテとの関係が深まることで、積み重なることももちろんたくさんあって、ある一定レベルからは通常のレッスン体系を取り入れなけばならないという実感もあります。

 そんなことで、実は僕自身も音楽療法士としてかなりの部分〈レッスン〉のスタイルで〈音楽療法〉を行うようにもなっています。これはひとえにこの村井楽器音楽療法プロジェクトの担当者研修会の賜物であると思っています。

 

at 10:53, まんどろ, 音楽療法の実践現場

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音楽療法士のオシゴト

 音楽療法士だから、いわゆる音楽療法のセッションをして、そのオアイテがどんどん良くなっていくのを見守る、というのが本分かも知れません。僕もそうありたいなあ、とは思っていたと思うんです。

 ですけど、最近の僕考えは大分違う。

 もちろん、個人、あるいは集団の音楽療法のセッションを継続して行う、というのはいいですよねえ。それはそうです。
 ですが、音楽療法士だったら、わざわざ「音楽療法」などと言わなくても、いいんだと思う。療法と言えばセラピー、つまりは治療的なことですものねえ・・・。
 
 むしろ子どもの遊びの場だったり、障がいのある人やご高齢の方の支援的な活動の中でこそ、音楽療法が活かされ、生きると思うのです。

 そんな様々な場面で、さすが「音楽療法士」と思われ、自分でもそう思えることってどんなでしょうか?
 歌やピアノやギターがうまい、というのは違うと思います。もちろんうまいのは構わないでしょうけど・・・。
 そうじゃなくて、例えばオアイテの人の声の調子や体の動きをきちんと受け止め、これに同調させたり、あるいはわざと少しずらしたりしながら、適切な距離をとって、絶妙の間合いで近寄っていく、みたいなことがあったら、これはもう素敵なことです。
 そしてそこから、それまで思っていたのとは違うコラボレーションが高まっていく。

 そう考えるといろんなオアイテの方と巡り合い、そこで、にっちもさっちもいかないようなことも味わわせてもらい、そして共にする音楽の歓びを経験してきたことは、音楽療法士にとって大事な修行だったんでしょう。
 もちろん誠実にです。誠実に音楽療法のセッションに取り組んでいくからこそ、いろんなつまずきと喜びがある。まあ、それもわざわざ「音楽療法」と呼ばない時間に音楽療法士のオシゴトをができるようになるためには大事なことに違いありません。

 そんな風な音楽療法士がいれば、地域の福祉・療育・教育・医療、そして音楽文化にとって思いもよらない貢献ができると思うのです。
 ああ、そんな風に・・・・。

at 12:06, まんどろ, 音楽療法の実践現場

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音楽療法で「歌う」ということ

  音楽療法のセッションで「歌う」活動は、とってもポピュラーなものです。とりわけ集団のセッションでは「歌う」活動のないものは、ほとんど想像できないくらいではないでしょうか・・・。

 昨日は名古屋のフレンド愛で、ひたすら楽しく歌い続けてきました。

 歌う場合何を歌うのか、つまり「歌」がまずあって歌うわけですよねえ。

 歌には題名があって、歌詞がある。言葉です。ですが、ただの言葉ではない、そこにイントネーションやリズムがあって、それに一人一人のイメージがしっかりと引っ付いているのです。幼い子どもも同じことでしょうけれど、人生の経験が長くなれば、長くなるほど、そこに引っ付いてくるイメージは分厚いものになっているのに違いありません。

 そんなことの総体が人を歌に駆り立てるのでしょう。

 歌にはもちろんメロディがありますけど、「歌う」ことで「歌う」エネルギーを増幅させていくのに大事なのは、メロディよりリズム、それもビート感だと、昨日心の底からそう思いました。場面や人によっても違うことですが、少なくとも昨日の名古屋の前半グループでは、そうに違いない!と感じさせられました。


 そこで、昨日から「ビート」について考えをめぐらし続けています。

 一人一人自分にピッタリくるテンポがあって、それは人によって違うということは、僕らの業界では常識になっています。
 そのテンポの一人一人の違いよりも、もっと明確で重要なのが、お一人お一人の身に備わったビートだと思います。

 これは、音楽教育の専門家から講義で聞いた聞きかじりの知識ですが、鍬を土に入れる時のように、また餅つきの杵のように、「よいしょ!」というビートがあり、農耕民族が生み出した田子ビートと呼ばれます。
 バレーのトウシューズで軽やかな、まるでボールが跳ねるように、入る時も返る時もやわらかなタッチのびーともあります。これはトウビートと呼ばれます。クラシック風ですね。
 次がロックのビート。これはハンマービートと呼ばれ、まさにハンマーで鉄を打つ時のように、返りの鋭さが特徴です。

 で、3つ並べると田子ビートが納得いただけると思います。カラオケがないころの宴会での歌(僕は少し経験があります)がこれです。誰かが歌えば、みんなが手拍子をする。両手を打ち合わせて、さらに一もみする感じです。日本人なら誰でも分かる、と思うのですが・・・・。

 昨日名古屋のグループで、小物の打楽器を持ってもらいみんなで歌っている時に、この田子ビートがはっきりと感じ取れ、僕がその人のビートを吸収しより明瞭にして、返していく。すると、みんながノッテくるんですねえ・・・。

 そうなると、どうなるか?!そうです。次は、自然に合いの手が起こる。
 まさに宴会の音楽が拡がっていったのです。

 歌には言葉あって、その人の歴史があって・・・・。

 いいや、それと同じくらい、その人のビートというものがあって、歌がそれを呼び覚ますのです。

 個人個人、ビートとテンポは違う。いいんです!!! 一人一人違うからこそ、唸りが生まれす。唸りはそれぞれが吸収したり反発したりしながら渦になる。こうしたドライブ感を生むのがノリ、というもんでしょう。

 僕がこれまでこのグループで、あるいはほかのいろんなグループの場合であってもそうですけど、音楽をリードしながら果たしてきたのは、これかな、思います。
 つまり、メンバーの誰かの個人的なビートを僕がノッテいけるビートに吸収して返していく。そこでは、もはや誰かのビートという個人的なものではなく、その時その場の仲間のノリが形成されていく。だから楽しいんですねえ。
 このことは、子どもよりおとなの方がそうなりやすいことも間違いないと思います。

at 11:33, まんどろ, 音楽療法の実践現場

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〜とする音楽

 音楽療法では、「音楽を使って療法を行う」みたいなことが文字づらから見えますよね。

 音楽の使い方も、それはいろいろあるでしょうが、僕の体験的な実感からは、もう少し限定的に「〜とする音楽」、あるいは「〜と音楽する」というような言い方がしっくりきます。

 その「〜とする音楽」には、もちろんはじまりがある。

 最初に出る音、その音の出始めが音楽のはじまりかと言えば、それはほぼ絶対に違うと思うんです。音の出る前に必ず音につながる、何かがあるはずです。
 音楽することは、聴くときでさえ、からだの動きを伴う活動ですら、音の前には、構え、動きだし、呼吸のため、・・・・、いろんな場合があるんでしょうけど、音楽に連なる前駆運動のようなものがあるはずです。そこには、気持ち、気分、意図、意志、のような普段は目には見えないことが現れ、肌で感じ合えるものが生まれてきます(当たり前かあ・・・)。

 逆に、どうかすると楽器が鳴っていたり、歌声が響いていたりしても、実は「〜とする音楽」は始まっていないかも知れません。バラバラなんですね。こういうシーンは、残念ながら音楽療法の現場ではしょっちゅうあります。
 


 「〜とする音楽」が生まれるには、どうしてもそのはじまりをご一緒しなければ、それこそ何もはじまりません。

 はじまりがはじまると、音楽は流れます。それは音楽の持つエネルギーと言えるかも知れませんし、人が音楽するエネルギーなのかも知れません。いずれにしても、それは得も言われぬ喜びの時間ですよねえ。
 ですが、「〜と音楽し続ける」のには、とってもエネルギーが要りますので、どうかすると、聞き流したり、歌い流したり、弾き流したり・・・・、

 そこで、もう一度はじまりを作り出す必要が生まれてきます。

 そういえば、音楽療法とは全然関係のない普通の曲でも、たびたび終止の形が現れ、そこからまた展開しますよねえ・・・・。歌だったら、だらだらと続くんじゃなくて、いったん1番で終わっておいて、次にまた2番に行くとか・・・・、(おんなじことかあ)。


 「〜とする音楽」で、もしもお互いに自分を出し切り、それを感じ合えたりする極上の時間が過ぎると、終わりはおのずとやってきます。

at 06:40, まんどろ, 音楽療法の実践現場

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わくわく伊勢の合奏

 月1回のグループセッションのわくわく音楽教室ですが、メンバーがそろって7月のライブスペース勢の!に出演することになりました。今回は、即興的な演奏ではなく、みんなが息を揃えて合わせる合奏をご披露します。

 

 ギターやコンガそれにハンドベル、トーンチャイムも使います。

  

 ドラムセットもありですよ。

 曲は、

  


 この歌詞幕をみてお分かりでしょうか・・・?

    わかるかなあ?    わかんねえだろうなあ・・・・

 曲名よりもこのギャグのほうが分かりにくいかも(ご存知の方は、その相応の人生経験の持ち主と拝察します)。

 ぜひ皆さんもわくわくメンバーの熱演を見に来てくださいね。
 

at 12:58, まんどろ, 音楽療法の実践現場

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歌力(うたぢから または Power of the Song)

 歌は人が歌うことで命が吹きこまれ、生き生きと生き物のように拡がっていきます。

 人は歌と出会い、その瞬間、心が躍り声を発し、体中を震わせ揺さぶりながら、自分のいのちを生きる時間を過ごします。

 人が先か、歌が先か、よく分かりませんが、いくつかの曲には大勢の人を丸ごと吸い込み、命のあふれる一人ひとりの歌声を生み出します。

 昨日は、名古屋のフレンド愛ぼちぼち、という普段は日中活動の作業所で、土曜日の特別メニューとして音楽をしに行く日でした。月1回の定期的なセッションです。

 いつもですと、みんなの様子を探るようにまなざしや言葉を交わしたり、小さなセミーヤという道具を受け渡しするような活動を促します。そのうちにある“リズム”が流れてきます。そうすると僕もギターを爪弾いて、歌なのかおしゃべりのなのか、スキャットなのかただのうめき声なのか、そんなことを試していきます。


 ですが、昨日は、なぜだかもうすでにそのリズムがメンバーの輪の中にあふれているのです。僕はギターを取る間もなくそのリズムにのっかろうと声を出していきます。出しながらギターを抱えて、譜面台の上に準備していただいてあった歌集をぱらぱらめくると、目に留まったのが「ピクニック」。

   

   おかをこえゆこうよ    くちぶえふきつつ
   そらはすみあおぞら    まきばをさして

 いきなりの大合唱です。

 そうなると、療法がどうのとか、セッションの進め方の手法や手順がどうのとか、というようなことを軽々とクリアして、うたの世界にみんなが遊ぶのです。

 次から次へ、歌は何でもよいようでいて、それなりの曲による違いがあります。

 ひたすら歌に惹かれ、歌声が広がり、やがてギターやパーカッションも加えて、思い思いのリズムと歌声は、さらに生き生きと輝きを増していきました。


 歌は歌われることで、人の命が宿り、積み重ねられ力を備えていくように思います。

 昨日歌った歌は、そんな風に何十年も日本中、いや世界のあちこちでも、様々な場で生き生きと歌われてきたに違いない、そんな名曲ばかりだったと思います。そして僕らの仲間は、またこの名曲から引き出された命の輝きを、力として曲たちにお返しし積み重ねた(利息みたいなものでしょうか?)ように感じました。

 この場に居合わせた幸せが次へのエネルギーになっていくのは、僕一人だけはなかったと思います。

at 08:52, まんどろ, 音楽療法の実践現場

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津橋北デイサービスセンター「サポート」

 連休前のことですが、津の高齢者のためのデイサービスセンターに呼んでいただき、ひととき音楽をしてきました。単発のセッションで、場所もお集まりくださるメンバーの皆様の様子も全く分かりませんで、道具をいろいろ取り揃えてお邪魔しました。


 僕のオアイテとなってくださったのはとってもお元気なグループで、楽しい歌声やリズムを響かせてくれました。素敵な写真を送っていただいたので、ご紹介します。

   
    


   

 前列で迎えてくださった男性の方々とは、太鼓をはさんでちょっとした即興のやり取りも楽しみました。

 皆さん、ありがとうございました。

at 09:55, まんどろ, 音楽療法の実践現場

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セッションとおわりの歌

 「セッション」という言葉は、いろんな場面で使われていて、普段から普通に使っておられる方も少なくないと思います。
 音楽療法では、一つの活動の単位をセッションと呼ぶならわしがあって、学校なら授業、音楽教室ならレッスンとほとんど同じ意味で使います。なぜセッションという言葉を使うか、ということについては、僕なりの考えもありますが、今日はそのウンチクではなく、僕がいつも使うセッションの「おわりの歌」のことです。

 ちょうど昨日も尾鷲で「エール」のセッションがあり、最後におわりの歌を歌ったのでした。みんなとってもいい笑顔で、しみじみとセッションの余韻を味わいました。




   

      


 この「おわりの歌」はもう10数年にもなると思うのですが、個人セッションでも集団セッションでも僕が使い続けています。ギターを奏でて歌うこの歌を僕の音楽療法と結び付けてくださっている方も大勢いらっしゃるのではないか、と思っています。


 もともとは「おたがいの手を取って」という参加者がみんなで動作するための歌と、「それじゃまた、」というお別れの歌が別々にあって(作詞作曲者も異なります)、それをカッコ良く一つにまとめて使っておられたのが、当時スウェーデンで活躍されていた大滝昌之さんという方でした。

 あんまりかっこいいもんで、僕は大滝さんに頼んで、楽譜をもらったり実際に口づてに教えてもらったりしたんです。

 自分でやっているうちにこなれてきて、ひょっとすると原曲から離れてしまうようなことになっているかも知れません。でもまあ、許してもらえる範囲でだとは思います。


 何人かのオアイテの子どもさんで、この曲が大好き、それまでつまらなさそうな表情であっても、この曲になるとさっと笑顔になる人もいます。最初のころは、この曲の良さが伝わっているんだと考えていましたが、そのうちに、まあセッションが終わる、という解放感なのかなあ、とも思うようになりました。いずれにしてもこの歌を楽しむことに変わりはありません。

 この曲を終わりの歌以外で使ったことはないし、そのつもりもありませんけど、こんな曲があることで、それまでのたとえぎくしゃくしたやり取りのセッションも、何となく肯定的に受け止められるようになる、名曲だと、思っています。

 名古屋のセッションでも使っていて、楽譜を求められましたので、作りました。もし欲しい方があれば、ご連絡ください。

at 12:32, まんどろ, 音楽療法の実践現場

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わくわく音楽教室への見学のお客様

 毎月1回、わくわく音楽教室というグループの活動が、伊勢と多気の2会場で行われます。きのうはその「わくわく」の日でした。

 もう暑くなると思っていたのに、昨日はさっぶ〜い一日で、時折ちょっとした嵐のような雨でした。

 でも、わくわく音楽教室は、たまに暑苦しいくらいのしつこいやりとも織り交ぜて、一人ひとりの表現する魂を呼びさましながら、ひたすら楽しく音楽しています。









 みんないい顔ですよねえ・・・・。






 さて、見学のお客様があったのは多気の「わくわく」でした。

 見学の後、メールのいただきました。その一文を紹介します。

   一人一人のキラキラの個性、友達を待つことの大切さ、
  集団でのルール、大事なことが盛りだくさんで
  とても勉強になりました。



 僕らの活動をそんな風に感じ取って帰ってくださる方との出会いで、僕はとっても勇気づけられました。
 いわば仲間内の、自分たたちの楽しみのために集まった「わくわく音楽教室」が、それこそ周りの世界に通用するんだと、そういう実感、やってることに値打ちがある、とでも言うか、そういう思いがわき、嬉しかったわけです。

 ありがとうございました。

at 09:09, まんどろ, 音楽療法の実践現場

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長島ミュージックサークル

 三重県には長島という地名が、僕の知る限りですけど、2つあります。一つは長島温泉とか、長島スパーランドとかで比較的有名な桑名の近くの長島です。その長島にも音楽でお邪魔したことがありますけど・・・・。

 今日の話題はそれじゃあない、紀伊長島、僕の所からは70kmほど南で、尾鷲の手前とでも言えばよいでしょうか、その紀北町紀伊長島区(町の合併で区になってます)のミュージックサークルという活動です。ギャラは社協からいただく活動です。

 社会福祉協議会のホールに2か所の作業所からメンバーが集まってくださって音楽を楽しむ時間です。

   
 
  

 歌ったり、楽器を鳴らしたりするんですけど、僕が一番大事に思うのは聴くことなんです。
 聴いて奏でる、当たり前のような、めっちゃ奥が深いような・・・・。


   


 この日はお休みの人もいて、少し人数が少ないですが、一人ひとりは思い思いに、でもいつの間にか、何となく一塊になって音が重なっていく、いつもの時間が流れました。
 もちろん、ことばでの指示とかは最小限ですね。当然ちぐはぐもしますけど、そのうちに落ち着くところへ落ち着いていく、その方が断然心地よいし、楽しいですね。


 もう7〜8年、いいやそれ以上になるんでしょうか・・・・。だんだんと歳とっていきますよねえ、メンバーの皆さんも、もちろん僕自身も。

 2年くらい前からギターのうまい奥村さんという仲間がサポートしてくれるようになり、僕は助かってますし、参加の皆さんも喜んでると思います。
 
 

 特別に盛り上がったりするわけでもありませんけど、月1回、お互いに響き合うものは、心の中でたまって行っているんじゃあないでしょうか、そんな気がします。 

at 08:36, まんどろ, 音楽療法の実践現場

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