2015年の始まり

 昨夜少しだけ吹雪いたようですが、起き出して雨戸をあけると、陽光まぶしく、消え残った雪もきらきらまばゆい朝となりました。
 昨年のことを取りまとめて反省しようと考えたのは12月の初めでしたが、だらだらと日が過ぎ、正月を迎えております。

 2014年は、僕にとっていつになく実りある出会いと体験に恵まれた年であったように思います。毎月のように普段経験できないようなことが身の回りで起こり(そのいくつは僕自身が仕掛けに行ったものですが)、次へのつながりを実感できる出会いが多くありました。
 一つ一つはもちろんばらばらに起こり、別々の経過をたどっていますが、僕の中では、それらが絡み合って僕自身に多くの気づきと喜びをもたらしました。

 それをいくつかの塊として整理してみると、まず、孫の誕生とその後の目を見張る成長ぶりに間近に接したことです。娘は海外駐在勤務の夫とアメリカ暮らしをしてそこで長男を生みました。妊娠中帰省がままならなかったこともあって、出産後、ちょうど去年の正月休みですが、長期に親元に滞在ました。また、昨年は、3年間の海外勤務から東京での本社勤務になって、その時点で住む家も十分には整っていなかったことから、6月に長期に我が家にやってきました。そんなことで僕は2歳の孫娘といろいろ遊びました。
 ここ数年、僕は2人の孫を通して、新生児、乳児期、そして1歳から2歳、そして2歳から3歳という、それぞれ特徴のはっきりした時期に孫と積極的に関わり、たくさんのことを学びました。魔の2歳、と呼ばれる時期に娘とやり取りしたことで、僕は「自閉」と呼ばれる様々な認知行動特性と相通ずるものをたくさん発見して、自閉症への理解が一気に深まりました。
 これからは、弟の方が徐々にその時期に向かい、娘は3歳児の様々な姿を僕に教えてくれるはずです。

 これは、もちろん家族のことでもありますが、音楽療法を生業とする僕にとっては、大変身になる研修、実習でもありました。すべり台を置いたスタジオが、僕らの遊びの現場となりました。

 もう一つの塊は、僕が長年続けてきた地域で生きる音楽療法の在り方について、ある程度ビジョンが明確になるような出来事が重なったことです。
 昨年7月、オーストリアのウィーン近郊のクレムスという街で音楽療法の世界大会があり、ここで、発表の機会を与えられ、英語でプレゼンを行いました。原稿の準備では、これまでの研究発表とは全然違う体験をすることとなりました。英語の原稿は自分で書けるわけではなく、何人かの英語に堪能な方の援助を得ました。
 日本語だと何となく書けてしまうことが、英語にできない。それは英語力の問題ではなく、自分の考えの不明瞭さにあることは明白でした。日本語での論文構成⇒日本語による記述⇒英訳、この3つを行ったり来たりしなければ、理解できる英語にはなりませんでした。最終的に英語になって、初めて自分のイメージが新たに明確になったことがたくさんありました。
 さてそのようなことを試行錯誤、右往左往を繰り返しながら、楽器店をベースにした自分の活動を、僕はいくつかの図にまとめることができました。そして、見えてきたものがあるような気がしたのです。
 また、この世界大会では、いろんな人と出会いました。挨拶を交わす、ということもありましたが、それ以上に自分の音楽活動を見直すうえで、もってこいであったと思うのです。そして、僕は自分のやろうとすることに少し自信を持ちました。


 3つ目の塊は「即興」の現場に居合わせる歓びに関わることです。
 音楽療法の音楽は、「即興」と呼ぶかどうかは、どうでもいいのですが、とにかく即興なのです。即興には様々な理屈の部分もあるでしょうけど、とにかく即興の現場に居合わせ、そこで体験すること、これが大事で、音楽療法の一つ一つのセッションもそれ以外の何物でもないと思います。
 即興は地図のない旅ですから、旅に出ようと湧き上がるものがなければ始まりようがありません。
 その湧き上がるものを共にする歓びこそ音楽の本質であり、音楽療法の真骨頂に違いありません。

 昨年はそんな現場を次々体験しました。中でも印象に残るのが、NPO法人音楽療法地域推進協会(MTちいき)が主催した「ミュージックフェスティバル2014」での200人の即興シーン。そしてもう一つはミュージシャン新倉壮朗さんとのセッションです。
 即興という音楽活動に慣れているとは到底思われない観衆が様々な楽器を手にして、音のうねりに加わっていく様、なかなかに迫力のあるものでした。
 また新倉さんは、言葉を使わないコミュニケーションの達人で、そこには湧きあがる思い、それを形にする楽器との真剣な戯れがあふれ出ていました。ちょっとやそっとではないのです。あふれるほどの思いこそ、即興が人を感動させるのでしょう、多分・・・・。

 4つ目は、音楽療法学会のことです。まあこれは、個人レベルの感傷にも似た気分ですが、僕が音楽療法の学会というものを知るきっかけをくださった遠山文吉先生との名古屋大会での再会、そしてそこでは、なんとあの日野原重明理事長の車いすを押すなど、間近にサポートする役割を与えられていたのでした。学会でホンマいろんな経験をさせていただいて幸せでした。

 というようなことが昨年、次々に起こり、今日に至っています。

 まあ、今年もぼちぼちと頑張ろう、いやほどほど十分ですが、などと思っているところです。

at 11:27, まんどろ, 日記

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ルンドにて

 僕は、ヨーロッパの町にあこがれて、まず、パリへの一人旅を始めました。まだ20代でした。その後、感動を確かめるように同じ都市を訪れ、それこそ犬も歩けば棒に当たる感じで、知り合いもでき、今度はその知り合い(文通です)を訪ねて、またヨーロッパに行くというようなことが、30歳代のことでした。フランス、イタリア、スイスがターゲットでした。

 その後の経過は割愛して、スウェーデンの首都ストックホルムが僕の親しい町となり、教師を辞めての音楽療法士の修行も2000年にストックホルムに音楽療法士さんを次々お訪ねすることから始まりました。ストックホルムでのコネクションはすべて大滝昌之さんによるものでした。おっと、大滝さんは最近表記を戸籍通りに、ということで大瀧昌之さんで、彼が、強くサポートしてくださって、僕のストックホルム修行が実現したのでした。
 その2000年、大滝さんはストックホルムではなく日本で活動していたので、実際に僕の世話をやいてくれたのは、大滝さんの年若い仲間の一人でもあったニクラスで、毎日僕を車に乗せて、自分の行うデイセンターなどでの音楽活動に誘ってくれたのでした。

 今回ウィーンでの音楽療法の世界大会に参加するにあたり、飛行機の予約を取りに行ったとき「旅行屋」という代理店で勧められたのがフィンランド航空で、ヘルシンキ経由になるのです。ヘルシンキに行くなら、対岸のストックホルムにニクラスを訪ねたい、と思いつき、さっそくメールで僕のアイディアを伝えると、歓迎してくれるとのことでした。ただし、ストックホルムではなくスウェーデン南部のルンドという街で、最も近い国際空港はデンマークのコペンハーゲンだということでした。

 かくして、僕の今回の旅はヨーロッパとは言いながら、僕がこれまで全然行ったことのないところばかりなのでした。

 ルンドといっても日本人にはなじみのない地名だと思いますが、実は大滝さんが率いるエコーというバンドの日本ツアーの際、伊勢でも公演をお願いし、少しはスウェーデン語もわかりたいと、探したところ、そのころ伊勢に住むスウェーデン人がみつかり、彼女がこのルンドの出身なのでした。毎週熱心に教えてくれたのですが、覚えるより忘れのが早いので、とうとう身に付きませんでした。確かルンドの町に彼女は帰ってきていると思うのですが、情けないことにお名前も思い出せず、探すすべもありません。

 今こちらは深夜の時間帯ですが、時差ボケもあって、こんな日記を書いてますけど、何かのご縁ばっかりでここにいて、また別のご縁が生まれるのかなあ、などと感じております。

 音楽療法世界大会、旅行屋、2つのキーワードで、今僕はルンドにいるというわけです。そんなことを言うと、世界大会への参加を進めてくれた二俣先生や、旅行屋を紹介してくれた村井楽器の村井社長も縁の重要な網目を作ってくれています。合縁奇縁。
 

at 09:47, まんどろ, 日記

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行きつ戻りつ、名だたる人ではなく、迷い人として

 音楽療法士にとって音楽療法は、実践と振り返りを繰り返す営みである、と思う。

 実践を確かめるために行ったことを言葉にして語る、論文に書く、学会などで発表する。僕は、そういう作業を割とこまめにやってきた、方であろうと思う。

 実践そのものもそうなのだが、今は書く作業をしているため、そこでの行きつ戻りつがはなはだしい。書くのは、もちろん誰かに伝えるためで、分かってもらえるように書かなければならない。そのための構成、つまり目次をしっかりさせて書こうとはするが、実際書き始めると、必ず、あらぬ方向へ歩みだす。そうすると訳が分からなくってまた構成をいじる。そんな行きつ戻りつが常となる。
 で、まあ書くのが論文となると、言葉の使い方や書き方も勝手に、というわけにはいかず、いろんな参考書を見ることになる。こうしたいわゆる文献をちゃんと理解していれば問題もないのだろうが、そんなことを求め始めたら、絶対に書くところまでは至りそうもない、ように思える。ということで、本をちらっと読んでは、作文に戻りという、行きつ戻りつが繰り返される。

 僕は、7月に音楽療法の世界大会というのに発表させてもらうことが決まっている。ここに至るまで、2人の優秀な学者の援助を受けている。それがなければ、こんな機会は得られなかったに違いない。
 で、世界大会では英語で発表しなければならないので、書く論文も英語である。むろんそんな英語力はないので、また別の人のお世話になる。
 ところで日本語を渡せば自動的に英語になるわけではない。翻訳者は僕の日本語を理解しなければ英語が書けないのである。ここで明らかになってきたのが、僕の日本語の不明確さである。仕方がないので、自分でも英語で書いてみる。そうすると書けないのである。
 仕方ないので、また日本語に戻る。内容は僕の頭にあるはずなのだが、そこは漠として捉えどころのない泥沼のようなところでもある。それをどう言葉に書くか、また構成を考え直す。
 
 まったく行きつ戻りつの繰り返し、の日々である。だが、まあ僕の迷人ぶりとは関係なく、その日はやってくる。これは僕にとって全くありがたいことで、そこでは何なり仕上がっているのである。これは僕にとっての経験則である。まあ、その仕上がったものが誰かほかの人に役立つとは思えないけれど、この行きつ戻りつが僕を支え、ほんの少しだが前に進めてくれることは、これも経験上よく知っている。
 今回は英語がらみで、なお一層の行きつ戻りつで、その成果もそれなり大きいかと、と思うことにして、また作文に戻ることにする。あ〜。
 

 


 

at 08:34, まんどろ, 日記

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Development という英語

 確か昨日の中日新聞のコラムで、明治のころ compulsory education をどう翻訳するかで論争があったことが話題になっていた。要は education を教育と呼ぶか開発とするかで議論があったというのだ。
 ついでの話題として development が登場するのだ。
 
 僕は、Development と聞けばまず、「発達」のことを思う。だが、昔は写真屋さんの看板には、たいていDPEと書かれてあって、DはDevelopment=現像 、PがPrint=焼き付け、 EはEnlarge=引き伸ばし、というわけである。コラムの記事はそのことにも触れていた。

 そこで気になりだしたのが、「現像」と「発達」である。一つの言葉がいくつもの意味に使えるのは、日本語でも英語でもたくさんあることに違いない。でもそういう場合にも、ある種の共通項があって、もともとのイメージは重なったりするものである。
 ところで、「現像」と「発達」で共通のイメージを持てる人が、果たしてどれくらいいるものだろうか・・・・?

 そこで、辞書をひもとくと、そもそも Develop は 「包みを解く」という意味の言葉だそうである。
 そう聞くと、すべて合点がいく。写真もネガフィルムでは見えないから、「包みを解く」作業をして、像が現れるようにするわけである。
 本来、発達の方も、人のもともとある潜在的な能力が、表に現れるよう待ったり、外から手を加えて促したりして「包みを解く」のだろう。「発達」という言葉を止めて「現像」ということにすれば、学校の先生の仕事もずいぶん違ったイメージになるに違いない。障がい児のための発達支援というよりも、障がいのある子どもの現像を促す支援、と言えば僕はちょっと嬉しくもなる。本来そうあるべきだと思えるのだ。

 とりわけ、僕が子どもと音楽をして発達を促すという時、この Develop の語源と語感を意識すると、とってもしっくりとくる。
 

 取り留めもなく、こんなことを考えて、また頑張ろうと思えるのでした。


 

at 13:26, まんどろ, 日記

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HPのリニュアル

 5月になりました。4月に年度が替わり、新しい態勢がそろそろ落ち着きだしたころでしょうか。
 僕のHPもリニュアルを果たしました。ブログに書きたいことはいつもそれなりにあるんですが、なんだかごちゃごちゃしてしまっていて、フェイスブックに写真を載せる方が気楽で、そちらに傾いておりました。
 今回、僕の私的ITサポーターの瀧竜之介さんのご尽力で、だいぶんすっきりした構成になりました。これで僕の頭の整理もすっきり行くといいんですが、そこは境目やスキマでいろいろなことをしたり、考えたりするので、そんなにすっきりと枠に収まらないことも大いにあり得ます。
 それはそれで、ぼちぼちと書いて行こうと思いますので、お付き合い願えれば幸いです。

 よろしく!!
 

at 15:40, まんどろ, 日記

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