音楽が生まれる、時、場所・・・

 2014年9月28日、「ミュージックフェスティバル2014」と銘打って、ここ数年、村井楽器を舞台に様々に展開してきた音楽活動を取りまとめてご披露するイベントを行いました。
 数年というのは、大体5〜6年くらいと思いますが、この間、楽器店の音楽教室として定期的な音楽療法活動をに行い、また毎月毎月「ライブスペース勢の!」というコンサートを続けてきました。
 まだしみじみするのは早いのですが、この過程で感じるのは、まず、人と人の新たなネットワークがしっかりと育ってきたこと、そして僕自身を含めてその人その人に向ければ、その人の音楽や音楽観が確実に変ってきました。それが一つの形になったのが「即興」という、誰でもいきなり参加できる音楽のスタイルと言うか、そういうものが身近で自然な音楽になってきたことに現れていると思います。
 それとステージに慣れてきた人が増えたこと。障がいがあろうとなかろうと、誰でもステージではヒーロー、ヒロイン、自分を表現できるのです。そんなパフォーマーが僕の周りにたくさんいる。
 もちろんステージには裏も表もある。この裏がとっても大事ですけど、いわゆる裏方も着実に育ってきたように感じます。

 で、「ミュージックフェスティバル2014」では、お集まりくださったオーディエンスが皆一緒になって即興することを目当てに、プログラム構成をし、展開したところでした。
 そこの成り行きは、実に様々な絡みがあって、僕も掌握し切れてませんけど、事前に仕組み、仕掛けてうまく行ったこと、それにつれて起こってくるのが、僕なんかが「思いもしない」出来事の展開でした。このドラマは、後日ゆっくりとまとめてみたいと思います。

 「ミュージックフェスティバル2014」は、参加者が音・音楽を感じ、思うが儘に音を出し、そこになりゆく音楽に身を任せたり、また自分の意志で動きだしたり、動きを止めたりたりする場でした。おいでくださった方の多くは、多分うなづいていただけるんじゃあないでしょうか・・・。
 そしてもう一つ、そんな音楽や自分について、物思う、あるいは考えるきっかけともなることを願い、三重大学の根津知佳子先生のコメントを挟んでみました。先生はとってもやさしい言葉づかいで、僕らのやろうとすることを解説してくださいました。
 その時のお話の要点のひとつが「音・音楽が生まれる」、まさにそういうことが今起こっているというふうに語ってくださいました。そしてその音・音楽は体を心を行き交い、自分に気づき、人と向き合い、交歓する場となるということです。
 なぜ、「即興」などということを試みるか、ということの答えがそこにある気がしました。


 「ミュージックフェスティバル2014」の1週間後、名古屋向かいました。そこでは新倉タケオさんのドキュメント映画の上映と彼のパフォーマンスがあるということで、
台風接近で帰りの心配な尾鷲の仲間たち一緒に出掛けました。
 僕自身はこの映画はもう見たことがあるのですが、今回仲間と一緒に見れたことはよかったです。
 音楽が教えたり、教わったりするのではなく、「生まれる」ものであること、それをみんなが共感を持って、感じ取れたと思います。
 音楽は「生まれ」て、すぐに「消えて」いきます。もちろん音楽にも形はあるでしょうが、それは目に見えるようなものではなく、やっぱ消えていくんです。でもその消えたはずの音楽が今度は僕らを生かし、活かすことにもなる、僕はそう思っています。


 タケオさんのエネルギッシュなドラムやダンス、それももちろんですがその時その場へのチャレンジみたいなことも、実に心地よく感じました。妙な思いなしの入る余地のないきっぱりとしたパファーマンスが会場のみんなを酔わせたのでした。

 音・音楽が生まれ、それを意識した途端にその音楽は消えている。自分を信じる気持ちや、人と人のつながる歓びの想いを残して。

 

at 09:35, まんどろ, 音楽

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小日山拓也の手作り楽器

 2014年5月18日、東京から三宅博子さんと小日山拓也さんをお招きして、手作り楽器で遊んでみよう、というワークショップを開催した。三宅さんとは以前から、様々な話題で話をしてきた間柄であるが、小日山さんはほぼ初対面である。

 僕の仕事でも、楽器との出会い、そして楽器との戯れ、ということはとても大事にしてきたことである。それだけに、現場に持ち込む楽器を選ぶことは、僕にとって重要な下準備となる。
 そんな僕のこれまでの経験から言うと、手作り楽器の何となく楽しそうな雰囲気はとてもいいと思う反面、短い時間で簡単にできてしまう物に大きな期待を抱かないというのも、何となくしみついた習慣的な発想であった。

 しかし、今回小日山さんが持ち込んだ楽器はどれも素晴らしいサウンドを奏でるので、それはもうびっくりの連続であった。
 
 紙太鼓は、ボイドとかいう紙でできた輪っかにクラフト紙を貼り付けるという単純な仕組みであった。しかし、出てくる音は張りのある乾いた粒で、音量も十分ありそのままどんな音楽にも使える代物である。
 伊勢のワークショップで披露された湯笛は、ペットボトルの口先に細工を施し、真ん中でちょん切ったものを、水槽につけるとピーというリコーダーの音が響くのである。誰しも、「なんで・・・?」と驚いてしまう。細工の部分を少し調整するとドレミの音階もほど正確に出せる、一本一本が一音を担当する楽器なのである。笛というと口で吹くものを連想するが、息の代わりに水槽の水の圧力で息がリードの送られて鳴るわけである。

 まだほかにも、工事用の長い手袋を利用したバグパイプもあり、これは指先に着いた穴の開いた管を指で押さえて自在に音程が変えられる。

 いやまあ、こんな説明でわかるわけもなく、機会があれば小日山さんに見せてもらうのが一番だが、僕が言いたいのはそのどれもが、材料のチープな感じとは裏腹の素晴らしい音色である。
 
 お二人にはワークショップやライブの出演をお願いした関係で、僕のところに滞在していただき、車の移動や食事の時間を含めて、いっぱいいろんな話も伺えた。
 当然と言えば当然だが、小日山さんは楽器のことをとてもよくご存じで、プレイも素晴らしい。楽器の成り立ちとか仕組みを踏まえた工作の緻密さはもちろん求められるのだろうけれど、それと共に音、音楽の成り立ちや仕組みについても熟知されての、いわば融合的な創作活動であることが十分に納得できた。
 ただ手近な物を材料に工夫して遊ぶというよりは、まさに音を楽しむ道へのいざないのとっかりとして手作り楽器を僕らに見せてくれているのかも知れない。

 ありがとうございました。
 

at 16:56, まんどろ, 音楽

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