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英語で書く

 世界大会で発表するための最大の関門が「英語」であることは間違いないことでした。僕は外国人の友達と英語で手紙やEメールのやり取りをしたり、海外旅行の際英語を使ったことがあります。でもそれと論文を書くことの間には埋めようもない大きな落差があります。

 当然のことながら、英語にするにあたって、業者さんを含め何人かの人のお世話になりました。

 作文をするとき、いつもそうなのですが、僕は日本語を何度も何度も推敲して手直しし、締切がなければ仕上がりません。それは全体の構成を整えることと細部を記述することは同時にはできませんので、記述するうちに構成が少なからず影響されていく、そこをどうにか形を整える必要があり、ある程度全体が見えてからの推敲は、欠かせません。

 ですが、翻訳のために時間も必要ですので、結局は仕上がらないままの日本語で英語にできる部分をしていただき、それを基にまた考える、という作業を繰り返すことになりました。僕自身で英語を書いてみたこともありましたが、これはほとんど使えないようでしたので、日本語を翻訳者に送り、返された英語でまた考え直すのでした。

 そこの作業は経験しないと分からない、ややこしい問題が次々に出てきました。僕が普通に書いた日本語は容易に英語になりませんでした。
 
 結論だけを言うと、英語と日本語を行きつ戻りつする間に、文章にする前の思いが、アイディアとしてようよう整理され始めたと実感したのです。
 普段僕は、日本語で自分の思いを1行でも、10ページでも書けるはず、そこを目指して書いていました。思いを凝縮し短いスペースに要領よくまとめるのが作文術だと思っていた節もあります。

 しかしこの方法では英語にしてくれる人にわけのわからない文章を提出することになり、翻訳者が理解できない内容を誰もが分かる英文に訳せるわけはないのです。僕は翻訳者に分かってもらわねばならず、そのために行ったり来たりをするうちに、実は自分でもわかった気分でいただけで、実は分かっていないことをたくさん書いていたことに気づきました。

 英語で書く、ということは英語力の前に日本語力が試され、もっと言えば言葉になる前の思いが整理されていないことを見つめることになりました。

 世界大会プレゼンテーションのために出発する直前に英語の原稿とパワーポイントのスライドが完成しました。その時、僕の中ですっきりした気分も味わえました。何よりこの面倒な作業に力を尽くしてくれた翻訳者に感謝するしかありません。

 
 プレゼンテーション本番では、果たして僕の英語がオーディエンスに分かってもらえるのか、非常に不安でした。ですが、僕の心配をよそに、参加していただいた皆さんによく通じたようで、大変嬉しく思いました。

 得難い体験でしたが、まあ、もうこれくらいで十分だと満足しております。

at 14:59, まんどろ, -

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