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三陸方面仮設住宅訪問の音楽療法士

 東日本大震災に衝撃を受け、自分を見直す機会とした人は多いと思う。僕もささやかではあるが、そんな一人でありたいと願っている。震災直後多くの音楽家が「自分に何ができるんだろろうか」「自分が今までやってきたことは、いったい何だったんだろうか」という問いを振り向けるのを、テレビでたくさん見た。その音楽家たちは、それぞれの方法で被災地や被災した人々とつながる音楽を模索し、形にしていっておられるのだろう。

 音楽、まして音楽療法士が黙って手をこまねいてはいられない、そういう衝動に駆られるのはむしろ当然のことであろう。僕もあまり積極的ではないものの、いちおう支援ボランティア募集に手を挙げ、バスに乗せてもらい、石巻、陸前高田を訪問したこともある。がれき撤去など、ほんのちょっとだけお手伝いをしてきた。
 
 僕のいとこは「できるときに、できることを、できる範囲で」と継続的にボランティア活動を行い、生き生きと活動を通しての出会いの喜びを語る。

 僕は僕なりにということで、先達を求め、「東北音楽療法推進プロジェクト えころん」という法人を立ち上げた岩手県盛岡の智田邦徳さんにたどり着いた。智田さんは人を引き付けるオーラが強く、その上にフレンドリーな言葉がけや振る舞いで人を安心させる達人ではあるが、音楽のパフォーマンス、一言でいえば「芸」が非常に達者なのである。

 その智田さんに連れて行ってもらい、丸2日間、大槌、宮古の仮設住宅などを回り、トータル5つのセッションに立ち会わせていただいた。
 どこへ行っても楽しい。お集まりの皆さんもとっても笑顔。
 音楽をもっていけば、誰でもというわけでは決してないだろうし、音楽療法士としての智田さんの優れた技量というものがそこにあるのは間違いない。
 
 智田さんのリードする活動を僕自身も腹から楽しみながら、考えた。
 それは一言でいえば、音楽療法士の仕事、役割ということである。ここでのセッションについて言えば、恐らく智田さんの覚悟と蓄積抜きには語れない部分であろう。なかなかまねはできないのである。
 もちろん僕は僕のやれることをやってみるしかない。そして、やってみればきっと楽しくやれる、そういう予感は僕の中にも生まれた。

 岩手県盛岡、そして三陸、僕のところからは決して近いところではない。だが、3日間ほどの滞在でなんだか親戚ができたような気分にもなっている。智田さんを通して三陸の人とつながる。そして僕がまた僕の地域の人々とともに智田さんや三陸の人々とのつながりを深めていく。

 つながり、それこそ音楽と音楽療法の一番の機能であり、それを実際に行い、目に見える形にしていくのが音楽療法士の務めであろう。そう確信できる2日間の仮設住宅セッションであった。

at 14:14, まんどろ, -

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